熟年燃人紹介
岡田ちゑ子さん 94才(紅陽会会長)
私の米国留学以来アメリカでの親代わりであるキンゼイ夫婦と1972年3月吉祥寺の岡田紅陽宅をお訪ねした。岡田紅陽氏は言わずとも知れた富士山の写真家では第一人者である。彼の生涯を通して撮った40万枚に及ぶ富士山の写真が“一枚として完璧な満足する作品ではない。”とご自身が言い切っておられたようだが正にこれがプロ意識だと感銘する。我々のお宅訪問中彼は「写真展を米国で実現させたい!」という夢を熱く語った。岡田氏存命中に果たされなかったが、1977年12月から約3年間全米13主要都市および欧州で“岡田紅陽、富士百景”と銘打って、IFCA主催の米国全土巡回写真展がついに開催された。キンゼイ(当時米国、民営航空会社副社長、現在IFCA会長)と彼の家族ぐるみの友人の登山家、写真家でもあるウオシュボーン博士(当時ボストン科学博物館館長)の忍耐強い協力がなければこの巡回写真展は実現できなかった。写真展初日のボストン科学博物館にはウオシュボーン博士とハーバード大学教授時代の友人でもあるライシャワー博士ご夫妻も来館して下さった。ライシャワー博士は駐日米国大使時代以来岡田紅陽氏と旧知の仲であり、博士は岡田氏の富士山写真集(求龍堂出版)の序文に川端康成氏と共に貴重なメッセージを遺している。
岡田夫人は紅陽亡き後(1972年11月)氏の遺志を引き継ぎ、1974年6月に紅陽会を発足し、現在に至るまで会員と共に各地での写真展を開催するなどの活動をされている。紅陽氏とは二人三脚で彼の富士山写真撮影にも助手として同行し、また東京空襲では茶箱に保存していた写真ネガを何日も掛けて、乾燥し続けたことなどご苦労が絶えなかったようでもある。今年9月で95才になられる岡田ちゑ子夫人は現在でも紅陽会会長として頭脳明晰で活動されている。紅陽会の益々の発展と岡田夫人の健康を心から祈っている。
IFCA代表 松本道子
IFCA主催富士写真米国巡回展オープニング(1977年12月8日)での
ライシャワー夫妻とウオシュボーン博士(ボストン科学博物館館長)